東京・神田明神といえば、江戸の鬼門を守る神社として広く知られていますよね。
鬼門――それは、北東の方角からやってくる「魔」や「邪気」を防ぐため、街づくりの中で重要とされた風水・陰陽道の考えです。実際、江戸の北東には神田明神や上野寛永寺、南西の裏鬼門には日枝神社や増上寺が配されていました。
では、京都にも神田明神があることをご存じでしたか?
京の町なかにひっそりと――もうひとつの神田明神
京都・下京区新鎌座町にある神田明神。
名前こそ同じですが、こちらは鬼門封じの役割ではなく、少し異なる由来を持つ場所です。
時は平安時代中期。
関東で反乱を起こした平将門が朝廷軍に討たれ、その首は平安京へと送られ、七条河原で晒し首にされました。その将門を憐れんだ空也上人(後に念仏聖として知られる僧)がこの地にお堂を建てて祀ったのが、京都の神田明神のはじまりなのだとか。

怨霊・将門と祟りの伝説
将門といえば「祟る神」としても有名。
東京・大手町にある「将門塚」は、京都で晒された将門の首が、身体を求めて東へ飛び戻った場所だと言い伝えられています。
そして、その周囲では移転や工事をしようとするたびに不吉な出来事が起き、雷で当時の大蔵省庁舎が全焼したという話も残っています。
平安京でも、将門の首が持ち込まれた後、落雷や疫病が流行し、人々は大いにその祟りを恐れました。空也上人が将門を祀ったのも、そんな祟りを鎮めるためだったのかもしれません。
室町時代の面影が残る町並みへ
今の神田明神は、町家の一角にある本当に小さなお堂。
ですが、その周囲だけはなぜか将門の祟りを恐れたかのように開発の手が入らず、まるで時が止まっているような古い京都の町並みが残っています。「室町の面影が最もよく残る場所」とさえ言われているんです。
この神田明神が面しているのは「膏薬図子(こうやくずし)」という細い通り。この「膏薬(こうやく)」という不思議な名前、「将門を弔った空也の図子」と言われていたのがなまって「こうやくずし」と言われるようになったとか。

そして、図子(ずし)とは、京都ならではの呼び名で、大通りと大通りを結ぶ、細くて通り抜けのできる小径のこと。東山区の宮川町界隈など、昔の花街にも多く残っています。
たとえば――
「田中図子」「恵比寿図子」「団栗図子」など、風情ある名前の通りが今も息づいています。
軒の低い町家が並ぶその景色はどこか懐かしく、今も昔の人々の暮らしがそっと残っているような佇まいです。
ちなみに通り抜けができない袋小路のような細道は「路地」と呼ばれ、図子とは使い分けられています。この違いを意識しながら歩くと、町歩きがぐっと面白くなりますよ。
迷い道こそ、古都の魔法

もし、あなたが京都を訪れることがあれば、観光地から少し足を延ばして、こうした「図子」や「路地」を歩いてみてはいかがでしょうか?
ふと角を曲がると、そこには古の京都が息づいています。
かつてそこに暮らしていた人々の気配、そして思いがけない素敵な発見があなたを待っていてくれるかもしれません。
基本情報 (訪問前にチェックして下さい)
| 項目 | 内容 |
| 名称 | 京都 神田明神 |
| 所在地 | 〒600-8471 京都市下京区新釜座町276 |
| アクセス | 市営地下鉄烏丸線四条駅2番出口から徒歩5分 京都駅からは「50番立命館大学前行き」バス停四条西洞院から徒歩1分 |
| 営業時間 | |
| 定休日 | |
| 入場料 | |
| 所要時間目安 | 約30分程度 |
| 公式サイト | https://www.kandamyoujin.or.jp/event/detail/?id=29 (東京にある神田明神のHPのリンクの一部に記載) |
| 電話番号 | |
| 備考 |
最新の情報は公式サイトをご確認ください。
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